27/01/2020
「国防は最大の福祉である」
本支部主催講演会「昭和20年夏 市民を守る武力がないことで起きた 満州の悲劇」の講師、赤崎大先生の言葉です。
満州生まれの赤崎先生は、終戦8年後にやっと日本へ帰国を果たす事が許されました。
昭和28年と言うと、日本テレビによる民法初の本放送や、NHKでの大相撲テレビ中継が開始となったり、蛍光灯が家庭に普及し始め、街頭テレビが人気を博していた頃です。
前年にGHQの占領は解かれ、日本人が日本人としての歩みを再び進め始めた、そんな折に赤崎先生はやっと故郷の地を踏むことができました。
国と国との話し合いで決められたお約束、【日ソ中立条約】をソ連は見事に破り、民間日本人が住む満州をソ連軍が急襲した昭和20年の夏。
本来であれば民間人を守ってくれるはずの日本側の武力はもはや満州には残っておらず、犠牲になったのは多くの民間人でした。
殺戮、強奪、女性への性暴力を幼い赤崎先生は目の当たりにします。
多くの女性たちは丸坊主にし、女性である事を何とか隠そうとしていたと…。
またこの地獄のような状況は満州だけでなく、朝鮮半島でも行われ、ソ連軍からだけでなく、現地の朝鮮人からも日本人が襲われることとなりその数は2万人とも言われます。
赤崎先生がやっと故郷日本を目にする事となった、昭和28年の引き揚げ船での事。
もうすぐそこに故郷!希望に胸を震わす赤崎少年の近くでは、「お母さんごめんない」という言葉と共に海へ飛び込む若い女性。
強姦され望まぬ妊娠をした女性は帰国後、“それ専用”の治療施設へ送られました。
中にはこのように自らの命を絶つ女性もいたのも事実です。
負けたら何をされても良いのか?勝ったら何をしても良いのか?
その国の文化を、人としての尊厳を剥ぎ取っても良いのか?
家を守る、国を守るということはどういうことなのか?
私達は理想論や性善説だけで本当に大切な家族を守ることができるでしょうか。
誰も戦争は望んでいないのです。話し合いや約束が果たされ平和が続くことが何よりです。
しかし、今日の日本を取り巻く隣国の状況はどうでしょうか。
話し合いだけで日本を、家族を。守る事ができるのでしょうか…?
もしそれでも自分たちを守る力が必要ない、話し合いですべては解決するという方がいるのであれば、自動車も自宅も無施錠でお過ごしいただいてはいかがでしょうか。
もし大切な家族が目の前で通り魔に襲われていても、話し合いで解決されてみてはいかがでしょうか。
講演会冒頭。赤崎先生の第一声目は「今日は暖かいですね」という言葉。
この日の三重県津市の天気は晴れ、暖冬の影響で日中は日差しが心地よい日でした。
しかし、ちょうど74年前のこの日、1月25日。満州は零下30度。
長い長い馬小屋のような収容所で“むしろ”1枚という劣悪な環境の中、赤崎先生の3つ上のお姉様が8年という短い命に終止符を打つ事となった日…。そして、5日後には妹さんが。
シベリアで拘留されていたお父様、生まれて数日の名も無き妹さん。
1月というのは、赤崎先生にとって家族を4名も亡くした、そんな月であるのです。
この月、この日に満州での記憶を辿りながらお話をされた赤崎先生は時々遠い目をされたり、少し長めに目をつむりながら、私達に「真の平和の為には何が必要なのか」を説われました。