1970年に設立された。2006年には、文部科学省の「学力向上拠点形成事業」指定校となっている。
近くには継体天皇陵とされる今城塚古墳などの史跡がある。また、西国街道が古い町並みの面影を残す地域でもあり、周辺は歴史・文化的資源に恵まれた土地柄である。学校の敷地も条里制の影響を受けており、上空から見ると、ほぼ真四角の形になっている。高校の建設時には、この場所から遺跡が発掘された為、当初、計画していた建物等のレイアウトを大幅に変更するとともに、遺跡の上に盛土をし保存した状態で高校が整備されている。運動場やテニスコートが一段高いのはその為である。現在も、奈良~平安時代の住居跡や、旧石器時代の石器などが未発掘のまま残されている。
制服(標準服)はあるが、私服での登校も認められている。
また府下の公立校で唯一、「生徒手帳」が無いなど、自由な校風を有する。「バイク通学の禁止」のみが校則としてあげ
られており、生徒の服装・髪形や私物の持ち込みなどは自由となっている。ただし入学式では毎年、「自由の裏には責任が伴う」という主旨の言葉が新入生に送られている。
特色ある授業に取り組んでおり、広範囲な選択科目を設け、個々の進路・興味・関心に応じた学習を可能にしている。選択科目の例として「時事問題」「異文化理解」「美術研究」「古典の世界」「情報科学」「生物の探求」「ライフスポーツ」等がある。また関西大学や立命館大学、関西学院大学等との高大連携を実施しており「大学教員等による出張講義」なども行われている。
学校の敷地面積が39,502m2と、大阪府立高校としては広い敷地を有している。そのために、開校時に校内緑化の為の木が足りず、春日丘高校と豊中高校から木を分けてもらったというエピソードもある[1]。
校歌は開校から11年後の1981年に初めて制定された。歌詞、曲とも公募によって選ばれた。また、三島高校にはもう一つの校歌ともいうべき「三島高校賛歌」なるものも存在する。これは1975年(昭和50年)に当時の学校長が発表したものだが、今では歌われる機会はほとんどない。
生徒の約半数は、高槻市外から入学してきている。