須賀川安積ミステリー

須賀川安積ミステリー 西暦400年頃まで遡る須賀川地方の叙事を基に現在起きている世界情勢を地方の目から読んでいきます。 日本人のルーツを探る重要な手掛かりが考古学とDNA調査により示されてきました。混沌とした世界でこれから何が起こるのか、報道されるニュースを時間軸で考えていきます。

【真実が明らかになる!?】このビデオご覧下さい。通説が覆る可能性大ですが、調査結果を纏めた書籍も一読の価値有りです。見えなかった歴史の一旦から伝説は現実のものへと変わります。洞察と科学が一致しました。https://www.youtube....
11/10/2020

【真実が明らかになる!?】

このビデオご覧下さい。
通説が覆る可能性大ですが、調査結果を纏めた書籍も一読の価値有りです。見えなかった歴史の一旦から伝説は現実のものへと変わります。洞察と科学が一致しました。https://www.youtube.com/watch?v=kqBydvkIhLE

扶桑国王蘇我一族の真実―飛鳥ゾロアスター教伝来秘史
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784404031952

世界 “三大迷宮”ミステリー①-3中尊寺金色堂と奈良の繋がり 歴史ミステリーです。あくまでもミステリーとしてお楽しみください。

【地震】不可思議な地震です。プレートレベルに宮城県南部が反応しました。大連に異常な感知があれば関東直下に備えるべし。2019年07月28日 03時31分頃震源地:三重県南東沖https://earthquake.tenki.jp/bousa...
27/07/2019

【地震】

不可思議な地震です。プレートレベルに宮城県南部が反応しました。大連に異常な感知があれば関東直下に備えるべし。2019年07月28日 03時31分頃
震源地:三重県南東沖https://earthquake.tenki.jp/bousai/earthquake/

最新の地震情報のほか、震度分布図も確認できます。過去の地震では、震度やマグニチュード別に並び替えたり、震源地別の地震観測回数も閲覧可能。

【会津の前方後円墳】被葬者の正体。「会津地方は、能登半島などを経由してきた渡来系の集団が、大和朝廷の政治的な後ろ盾を得ながら支配していたとみられる。」
05/06/2019

【会津の前方後円墳】

被葬者の正体。「会津地方は、能登半島などを経由してきた渡来系の集団が、大和朝廷の政治的な後ろ盾を得ながら支配していたとみられる。」

東北学院大文学部の辻秀人教授(考古学)の研究グループは、古墳時代中期(5世紀ごろ)に会津地方を支配した男性の歯から抽出したDNAと全身の骨格から生前の全身像を復元した。男性の姿は現代人に近く、当時の支

【判明!「棚倉町八槻都々古別神社」祭神 味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)の正体】結論から先に申し上げます。ズバリ!『八咫烏』です。境内には熊野神社があります。本殿側面上部には六角形の亀甲紋。そして最上部には十六菊花紋。入口の鳥居は...
06/05/2019

【判明!「棚倉町八槻都々古別神社」祭神 味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)の正体】

結論から先に申し上げます。ズバリ!『八咫烏』です。

境内には熊野神社があります。本殿側面上部には六角形の亀甲紋。そして最上部には十六菊花紋。入口の鳥居は八角形のコンクリートで固められている。

系図にある第35代天照大神の娘(タギリ姫)と大国主命(亀甲紋)との子供が賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと:本名は味耜「あじすき」)です。京都下鴨神社の祭神で、大和地方に神武天皇を先導した八咫烏。

数字が合致し、示しています。
近津神社の配置から八咫烏の進行拠点が解ります。(【当地方に残る「7」の縁起】を参照して下さい。)

八槻都々古別神社(奥州一ノ宮)
http://www.town.tanagura.fukushima.jp/page/page000327.html

天照大神を中心とした系図
https://rokuzigenkai.com/genealogy/

賀茂建角身命
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E5%BB%BA%E8%A7%92%E8%BA%AB%E5%91%BD

都々古別三社の一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都都古別神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された“中宮"にあたります。縁起によれば、日本武尊(ヤマトタケル)が八溝山の「東夷」の大将を討った際....

【卑弥呼の素性】「闘戦経」(とうせんきょう)平安時代末期に成立したとみられる日本の兵法書。現存する国内独自の兵法書としては、最古の兵法書。古代から朝廷の書物を管理してきた大江家が著す。解説の中に、晋書東夷倭人条(第97巻)に、卑弥呼の素性が...
24/03/2019

【卑弥呼の素性】

「闘戦経」(とうせんきょう)

平安時代末期に成立したとみられる日本の兵法書。現存する国内独自の兵法書としては、最古の兵法書。古代から朝廷の書物を管理してきた大江家が著す。解説の中に、晋書東夷倭人条(第97巻)に、卑弥呼の素性が記載されています。ズバリ!

『公孫氏』
公孫氏は、多くが楽浪から襄平・北平・薊(北京)など、遼東を含む河北の北部に存在。

中国人!。だから語学堪能で、鬼道(詭道(きどう))を駆使出来たということになります。
二人の女傑(卑弥呼と神功皇后)が同時代に存在しました。

そして邪馬台国に手向かう「狗奴国」(男子王卑弥弓呼は菊池氏。熊本県相当エリア)は新羅と通じていたことが判明しました。

大きな前進です!

今回は「神功皇后と卑弥呼」について二回に渡りお話していただきました。 今回の軸となる第十九章は闘戦経の中で唯一、婦人が登場する部分となります。 その婦人とは「松浦佐用姫」。弁財天のモデルとも言われる彼女....

【当地方に残る「7」の縁起】添付の動画は秀逸で鋭い指摘です。当地方には石背国造初代 建見依米命(たけみよりめのみこと)(西暦400年頃)の神社創建前から磐座が点在しています。(白方神社、桙衝神社奥宮)この磐座を誰が崇拝していたのか注目してい...
31/10/2018

【当地方に残る「7」の縁起】

添付の動画は秀逸で鋭い指摘です。当地方には石背国造初代 建見依米命(たけみよりめのみこと)(西暦400年頃)の神社創建前から磐座が点在しています。(白方神社、桙衝神社奥宮)この磐座を誰が崇拝していたのか注目していました。そして数字「7」との符号。洞察歴史学は更に1歩前進します。そういえば福島県南部にある鮫川村の「さめ」も香々背男の別名だったと聞いたことがあります。縄文人の末裔で北茨城から福島にかけてのヒーローでした。この勢力を封じるべく茨城県鹿島神宮から棚倉町八槻都々古別神社、建鉾山、桙衝神社、近津神社等大和朝廷側の痕跡を確認できます。

君は死兆星を見たか!?北の空に輝く北斗七星を崇める一族を追え ついてゆっくり解説しています。 チャンネル登録はこちらからどうぞ http://www.youtube.com/channel/UCqqNehhz2b-jDnQ-PSNmLoQ?sub_confirmation=1 【関連動画】 ディアトロフ.....

23/09/2018

岩瀬郡衙は「369の教え」。近くには石工と火伏の神社。素晴らしい発見です。

【ようやく出てきた科学的な検証】邪馬台国論争に科学的な検証がなされています。そしてついに小生が探していた方位、距離を求める当時の道具が確認されています。面白くなってきました。
09/04/2018

【ようやく出てきた科学的な検証】

邪馬台国論争に科学的な検証がなされています。そしてついに小生が探していた方位、距離を求める当時の道具が確認されています。面白くなってきました。

徳島東阿波ケーブルテレビ制作 「新春特番魏志倭人伝を最新技術で読み解いた」 日本古代史の最大テーマ邪馬壹国。 そこへ最新のIT技術で挑んだ方が小松島市に居ました。 漢字をきとんと伝えましょう 邪馬の「台」は国.....

【寄り道:そして本筋へ】突然ですが、謎の4世紀をはじめ、この国の成り立ちを示す傍系1級資料の解説を読んでいます。そして研究しています。素晴らしい神の国、日本。争いは少なからずあったでしょうが、天皇家を筆頭に必死にこの国をまとめ上げ、一から国...
12/05/2017

【寄り道:そして本筋へ】

突然ですが、謎の4世紀をはじめ、この国の成り立ちを示す傍系1級資料の解説を読んでいます。そして研究しています。素晴らしい神の国、日本。争いは少なからずあったでしょうが、天皇家を筆頭に必死にこの国をまとめ上げ、一から国を作り上げる諸家の先祖達。血の系譜を残し、協力する温かな姿を感じます。素晴らしい。今、私はその一族のDNAが残る「須賀川岩瀬」に住んでいます。この地域には不思議が残り、何かを示しています。小津安二郎をふと感じています。そしてそれは秘密の神髄へと誘い始めています。
http://kodai.sakura.ne.jp/kanntyuukeizu/index.html

https://ugaya.jimdo.com/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3-%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E6%9D%B1%E5%BE%81/

2007年8月27日「勘注系図考」として初稿を公開。 2009年10月28日「勘注系図」として増補改定。但し未完。 2011年10月20日全編完成

04/12/2016

【当地方はいつから「漢神信仰」に変ったのか?(2)】

誰が「漢神信仰」を伝えたのか?
須賀の名称から読み取る。

出雲の須我神社を本社とする場合は、須賀神社と称する。(当地方はこの須賀でこれまでこの神社の変遷を調べてきたわけです。)氷川神社や熊野神社もスサノオを祭神とするが、祇園信仰との関連は非常に薄く、出雲の須佐神社も祇園信仰との関わりは薄い。(祇園信仰 ウィキペディアより)

「須我神社」(すがじんじゃ)は、島根県雲南市にある神社である。旧社格は県社。須佐之男命が八岐大蛇退治の後に建てた宮殿が神社になったものと伝え、「日本初之宮(にほんはつのみや)」と通称される。(須我神社 ウィキペディアより)

スサノオが共通項です。
次のシーケンスはスサノオの正体ということになります。
参照:須賀川安積ミステリー【スサノオとは何者か2】

『日本書紀』巻第一神代上第八段一書に、スサノオ(素戔嗚尊)が新羅の曽尸茂利/曽尸茂梨(ソシモリ)という地に高天原から追放されて降臨し、「ここにはいたくはない。」と言い残し、すぐに出雲の国に渡ったとの記述があるが、この伝承に対して、「ソシモリ」は「ソシマリ」「ソモリ」ともいう朝鮮語で、牛頭または牛首を意味し、朝鮮半島の各地に牛頭山という名の山や牛頭の名の付いた島がある由と関連するという説がある。
また斉明天皇2年(656年)高句麗の使、伊利之使主(イリシオミ)が来朝したとき新羅国の牛頭山の須佐之雄尊を祭ると伝えられる。伊利之は『新撰姓氏録』山城国諸蕃の八坂造に、意利佐の名がみえ、祇園社附近はもと八坂郷と称していた。この伝承にそのまま従うと「日本における神仏習合以前に、朝鮮半島ですでに日本神話のスサノオが信仰されており、その信仰をもちこんだ渡来人が住みついた後になってから牛頭天王と習合した」ということになる(牛頭天王 ウィキペディア)

抜粋:水野佑「入門・古風土記」より
◉「スサノオノミコトは新羅から出雲へ移動して来た移住民集団が奉祀していた神である。
◉古くは出雲、壱岐など日本海沿岸では「スサヲ」という神の信仰があった。
◉新羅第二代の王の名「次次雄」は「スサング」と同義語で巫を意味する。」
◉「次次雄」は紀元4~24年であるので、スサノオノミコトはその頃の神であろうか。
◉スサノオノミコトは新羅の人なのか、倭人なのかはっきりしないが、半島と倭国を自由に行き往来していたようである。
◉「古事記・日本書紀」の神話の中心はスサノオノミコトの一族(新羅系の人々)である。
◉古代日本の国家創造に携わった人々は新羅系の人々であったということである。
◉出雲や若狭、丹後、越などの地方も同じ文化圏であったと考えられる。
◉紀元前後ごろから紀元後400年代後半ごろまで、このような状態が続いた。

重要な人物、そして謎の人物の輪郭が見えてきました。牛と牛頭天王、スサノオの関係は近いことが判りました。
次回は「きゅうり天王祭」とは一体何なのか本質に迫りたいと思います。
そして誰がいつ「漢神信仰」を伝えたのか?を推理します。

住所

栄町200
Sukagawa-shi, Fukushima
9620004

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