13/10/2024
あの真珠湾で攻撃で零戦35機を率いた指揮官だった進藤三郎大尉。戦後密かに奧会津の三更(現在の霧幻峡)に移り住み沼沢鉱山の所長として3年程を過ごし、その後広島に戻り、マツダの役員にまで上り詰めたが、その進藤夫妻が晩年の頃に三更を再訪したときの貴重な写真が見つかった。
夫妻と1番親しかった角田和子氏さんが所有していたもので、何と私の父星賢正まで写っていた。
進藤大尉は敗戦の戦犯の非難を恐れ、零戦指揮官の話は一切しなかった為に、角田和子さんも村の誰もが零戦との結びつきは全く知らなかったという。
「国の為に全霊と命をかけて闘った俺の人生は空しかった」と進藤大尉は「祖父たちの零戦」(神立尚紀著作・講談社刊の本の中で述べている。
零戦と奥会津との誰も知らない奇遇の因縁を顕彰し、進藤氏の鎮魂の慰霊をするべく、現在建設中の観音堂の一角に「進藤三郎大尉鎮魂の慰霊コーナー」を設置するべく現在準備中です。
300年の歴史を繋いできた霧幻峡の観音堂は、3年前の豪雪で全壊しましたが、私が生まれ育った生家跡地に現在建設中です。