日本の原風景 霧幻峡の渡し

日本の原風景 霧幻峡の渡し 昭和39年に裏山の土砂崩壊で廃村となりました。その廃村集落には、今なお霧幻地蔵や古民家が歴史のままに。近年、そこに宿る霊力が訪れた人の運気を上げ、パワースポット」としても注目を浴びています。

あの真珠湾で攻撃で零戦35機を率いた指揮官だった進藤三郎大尉。戦後密かに奧会津の三更(現在の霧幻峡)に移り住み沼沢鉱山の所長として3年程を過ごし、その後広島に戻り、マツダの役員にまで上り詰めたが、その進藤夫妻が晩年の頃に三更を再訪したときの...
13/10/2024

あの真珠湾で攻撃で零戦35機を率いた指揮官だった進藤三郎大尉。戦後密かに奧会津の三更(現在の霧幻峡)に移り住み沼沢鉱山の所長として3年程を過ごし、その後広島に戻り、マツダの役員にまで上り詰めたが、その進藤夫妻が晩年の頃に三更を再訪したときの貴重な写真が見つかった。
 夫妻と1番親しかった角田和子氏さんが所有していたもので、何と私の父星賢正まで写っていた。
 進藤大尉は敗戦の戦犯の非難を恐れ、零戦指揮官の話は一切しなかった為に、角田和子さんも村の誰もが零戦との結びつきは全く知らなかったという。
 「国の為に全霊と命をかけて闘った俺の人生は空しかった」と進藤大尉は「祖父たちの零戦」(神立尚紀著作・講談社刊の本の中で述べている。
 零戦と奥会津との誰も知らない奇遇の因縁を顕彰し、進藤氏の鎮魂の慰霊をするべく、現在建設中の観音堂の一角に「進藤三郎大尉鎮魂の慰霊コーナー」を設置するべく現在準備中です。
 300年の歴史を繋いできた霧幻峡の観音堂は、3年前の豪雪で全壊しましたが、私が生まれ育った生家跡地に現在建設中です。

#只見線#霧幻峡の渡#早戸駅
08/10/2024

#只見線
#霧幻峡の渡
#早戸駅

台湾の人達が只見線と霧幻峡にやってきました通訳はマチさんです お世話になりました霧幻峡の古民家集落を見て霧幻峡の渡舟に乗り、眼鏡橋を撮影しました 来ていただきありがとうございました
08/10/2024

台湾の人達が只見線と霧幻峡にやってきました
通訳はマチさんです お世話になりました
霧幻峡の古民家集落を見て霧幻峡の渡舟に乗り、眼鏡橋を撮影しました 来ていただきありがとうございました

台湾の人たちが霧幻峡に来てくれました。マチさんの通訳で古民家も巡り 渡舟で只見線も撮影出来ました。
08/10/2024

台湾の人たちが霧幻峡に来てくれました。マチさんの通訳で
古民家も巡り 渡舟で只見線も撮影出来ました。

金山道の駅から見た大志集落 川霧がとてもきれいでした
23/09/2024

金山道の駅から見た大志集落 川霧がとてもきれいでした

 #霧幻峡の渡し#霧幻峡の夕焼け
12/09/2024

#霧幻峡の渡し
#霧幻峡の夕焼け

#霧幻峡の渡し今日の霧幻峡は、一日中川霧が発生して、幻想の光景が途切れること無く広がっていました。午後の暑い陽が射しても、川霧のベールに包まれて、皆さん喜びの笑顔で楽しんでいました。霧幻峡の渡しには若い女性の船頭さんもいて一生懸命笑顔で頑張...
26/07/2024

#霧幻峡の渡し
今日の霧幻峡は、一日中川霧が発生して、幻想の光景が途切れること無く広がっていました。午後の暑い陽が射しても、川霧のベールに包まれて、皆さん喜びの笑顔で楽しんでいました。
霧幻峡の渡しには若い女性の船頭さんもいて一生懸命笑顔で頑張っています。是非遊ぶに来て下さいね

 #霧幻峡の渡しこの10日間ほど只見線と霧幻峡の写真をろくに撮っていないもちろん多忙だったせいもあるが、何より、雨天続きで只見川が茶色に混濁しているので撮影への気力が失せている。早く本来のグリーンの只見川に戻ってほしいものである。
15/07/2024

#霧幻峡の渡し
この10日間ほど只見線と霧幻峡の写真をろくに撮っていない
もちろん多忙だったせいもあるが、何より、雨天続きで只見川が茶色に混濁しているので撮影への気力が失せている。
早く本来のグリーンの只見川に戻ってほしいものである。

住所

金山町大字大栗山字雨沼2586番地
Mishima-Machi Onuma-gun, Fukushima

電話番号

+81241427211

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