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【令和8年度会計年度任用職員の募集】 東京都公文書館では、公文書館専門員(整理閲覧担当)、アシスタント職員(整理閲覧担当・史料編さん担当)を募集しています。 申込みをされる方は、当館HPに掲載している募集要項をご確認の上、所定の応募書類を期...
03/06/2026

【令和8年度会計年度任用職員の募集】

 東京都公文書館では、公文書館専門員(整理閲覧担当)、アシスタント職員(整理閲覧担当・史料編さん担当)を募集しています。
 申込みをされる方は、当館HPに掲載している募集要項をご確認の上、所定の応募書類を期日までに郵送してください(必着)。

【東京都公文書館ホームページ】
公文書館専門員(整理閲覧担当)
https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu-archives/information/2026/20260601090001
アシスタント職員(整理閲覧担当)
https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu-archives/information/2026/20260601090002
アシスタント職員(史料編さん担当)
https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu-archives/information/2026/20260601090003
#公文書館  #会計年度職員  #募集  #専門員  #閲覧  #アシスタント  #史料

【ミニ展示「東京百景 井の頭 ~三鷹・武蔵野」開催!】 「東京」は、オフィス街や商業施設、粋な下町情緒、森林や水辺などの豊かな自然環境と、多彩な魅力を持っています。当館では、東京の一地域を取り上げ、古くから続く歴史的景観の紹介や、今となって...
28/05/2026

【ミニ展示「東京百景 井の頭 ~三鷹・武蔵野」開催!】

 「東京」は、オフィス街や商業施設、粋な下町情緒、森林や水辺などの豊かな自然環境と、多彩な魅力を持っています。
当館では、東京の一地域を取り上げ、古くから続く歴史的景観の紹介や、今となっては想像すらできない失われた情景をたどることにより、その魅力を紹介するミニ展示「東京百景」シリーズを展開しています。
 今回は、三鷹市と武蔵野市にまたがる井の頭恩賜公園を紹介します。

開催期間:令和8年5月22日(金)~7月14日(火) 
9時~17時(最終入場 16時30分) 
(休館日:日曜日、祝日、第三水曜日)

開催場所:東京都公文書館常設展示室、エントランスホール

構成:Ⅰ 井の頭池と弁財天
   Ⅱ 御林から御料林へ
   Ⅲ 恩賜公園の誕生
   Ⅳ 恩賜公園としての歩み 

東京都公文書館ホームページ
https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu-archives/04tenji_kouen

【すごろくもあります~「内田祥三関係資料」~】 東京都公文書館の「内田祥三関係資料」をご存じでしょうか。当館では江戸東京にかかわる様々な資料を保存・公開しており、それらのうち個人から寄贈された資料群を「個人アーカイブ」と呼んでいます。「内田...
26/05/2026

【すごろくもあります~「内田祥三関係資料」~】
 東京都公文書館の「内田祥三関係資料」をご存じでしょうか。当館では江戸東京にかかわる様々な資料を保存・公開しており、それらのうち個人から寄贈された資料群を「個人アーカイブ」と呼んでいます。「内田祥三関係資料」は最大の資料群で、建築や都市計画の分野で幅広く活躍した建築学者・建築家の内田祥三(うちだ・よしかず 1885-1972)によって収集されたものです。
 当館の情報検索システムには「内田祥三関係資料」として10,000件近くのデータが登録されています。それらを地道に眺めてみると、外国語文献が思いのほか多く公開されていることに気がつきます。ドイツ語のEisenbetonbauや英語のreinforced concrete constructionという単語が目立つような気もします。どちらも「鉄筋コンクリート建築」を意味する言葉です。たとえば、内田が大正末年から昭和初年にかけて収集したエミール・メルシュ(Emil Mörsch)の『鉄筋コンクリート:その理論と応用』(Der Eisenbetonbau: Seine Theorie und Anwendung)は1902年に初版刊行が始まった有名な理論書で、内田は第一次世界大戦によって刊行が遅れた増補改訂版(第5版)を取り寄せていたようです。
 内田祥三は、明治末期から本格的に展開していく日本の鉄筋コンクリート建築を牽引した研究者のひとりでした。明治末年から東京帝国大学にて建築を学び、大正10年(1921)には同大学教授となっています。内田は建築構造学の講義を担当し、鉄筋コンクリートについても教えていました。「内田祥三関係資料」に含まれている様々な文献は、海外の研究動向にも目配せを欠かさない学者としての姿をよく示しているようです。そんな内田祥三の研究生活に素人ながら思いを馳せていると、昭和26年(1951)に歌舞伎座から発行された『歌舞伎すごろく』が出てきました。学生のころは歌舞伎が好きでよく観ていたそうですが、後年もたまに歌舞伎座あたりに出かけていたのでしょうか。
 震災復興や同潤会をはじめ多岐にわたる「内田祥三関係資料」ですが、こんな風に資料群の隅のほうを覗いてみるのもまた一興かと思います。
●とりあげた資料
①Der Eisenbetonbau seine Theorie und Anwendung
請求番号:U524.7-M-1078、U524.7-M-1079、U524.7-M-1080、U524.7-M-1094、U524.7-M-1097
②歌舞伎すごろく
請求番号:U798-か-5986
●情報検索システムURL
https://www.archives.metro.tokyo.lg.jp/

【地形図のアーカイブズ】 地形図は、等高線が引かれているので地形がわかるようになっています。国土地理院が作製している地形図の縮尺は1/25,000と1/50,000の2通とおりあります。これらよりも縮尺が大きいものは「国土基本図」、小さいも...
19/05/2026

【地形図のアーカイブズ】
 地形図は、等高線が引かれているので地形がわかるようになっています。国土地理院が作製している地形図の縮尺は1/25,000と1/50,000の2通とおりあります。これらよりも縮尺が大きいものは「国土基本図」、小さいものは「地勢図」「地方図」と名称が変化していきます。
 東京都でも独自に「東京都地形図」を作製していますが、こちらは地形図といっても縮尺1/2,500と、国土基本図に相当する大縮尺のものとなっています。なぜ都が独自に地図を作製しているのかというと、都市計画など公務の中で使用するためには、1/25,000地形図よりも詳細な地理情報が表示された大縮尺の地図が求められたためです。
 東京におけるこうした大縮尺地形図の歴史は、戦前まで遡ります。
 大正11年(1922)、“都市計画東京地方委員会”という内務省の組織が、現在の区部に当たる範囲を対象に作製した1/3,000地形図を刊行しました。なお、昭和18・19年(1943・44)に多摩地域も作製しましたが、刊行には至りませんでした。
 戦後、昭和31年(1956)に東京都建設局は、都全域を対象とした1/3,000地形図を新たに作製しています。その後昭和44年(1969)に新都市計画法が施行され、縮尺は2,500分の1へと変更、以降概ね5~10年ごとの更新を経て現在に至っています。
 こうした自治体独自の地形図類は、測量法で「公共測量」として規定されています。測量法第40条では測量を行った機関は成果物の写しを国土地理院へ送付すること、第42条では国土地理院に写しの保管と一般への閲覧に供することがそれぞれ義務づけられています。
 東京都作製の原図は、昭和31年以降の旧版が当館へ順次移管されています。当館が所蔵する原図は、“マイラー図”というポリエステル製の透明なフィルム素材で作製しています。これは伸縮が少ないことや、青焼きで複写する際に透明度の高い素材の原図が必要であったことから、主に図面で多く用いられた形態のものです。
 画像は1枚目が昭和35年(1960)の測量に基づく「東京1:3,000地形図30-5 国分寺」、2枚目が昭和45年(1970)の撮影データに基づく「1:2,500東京都地形図26-11 西国分寺」です。3枚目は当館付近の様子を比べたもので、野球場の東側付近に現在当館が立地しています。俯瞰で見ると縮尺の違いがよくわかりませんが、3枚目を見ると右側(1/3,000)と左側(1/2,500)で微妙に描かれている大きさが異なります。また、下に紙を敷いているので白く見えますが、4枚目からスモーク状ではあるものの透明なフィルムであることがおわかりいただけるでしょうか。

【参考文献】
千歳壽一「都市計画基本図としての東京都三千分一地形図の作成―経済大国の首都東京形成の基礎地図はいかにつくられたか―」(『地図』46-3、2008年)
五条英司「大縮尺地形図の整備と利用」(『地学雑誌』81-1、1972年)
清水靖夫「昭和10年代に作製された東京西郊の3千分1地形図について」(『地図』34-1、1996年)
清水靖夫「東京の3千分1地形図について―「帝都地形図」の概要―」(井口悦男編『帝都地形図 別冊〔総解説・参考写真・総索引〕』之潮、2005年)
谷川興洋『地形図の製図とトレース』(理工学社、1989年)
都市整備局「『東京都縮尺1/2,500地形図』の利用について」(都庁総合ホームページhttps://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/about/chousa/map_user)(2026/05/13閲覧)

【画像の出典】
1枚目:「東京都地形図」国分寺(30-5)(請求番号:A12-30-5-34)
https://www.archives.metro.tokyo.lg.jp/detail?cls=collection_13&pkey=000368282
2枚目:「東京都地形図」西国分寺(26-11)(請求番号:B18-26-11-45)
https://www.archives.metro.tokyo.lg.jp/detail?cls=collection_13&pkey=000370089
3枚目右:「東京都地形図」国分寺(30-5)(請求番号:A12-30-5-34)
3枚目左:「東京都地形図」西国分寺(26-11)(請求番号:B18-26-11-45)
4枚目:「東京都地形図」西国分寺(26-11)(請求番号:B18-26-11-45)

#都市計画 #地形図 #国土地理院 #測量 #西国分寺

【幻の鉄道-五日市鉄道】 東京都内では、奥多摩の新緑が映える季節となりました。車窓からの新緑を堪能しようと、電車を利用される方も多いかもしれません。今回は、大正期に多摩地域で新しい鉄道として申請したものの、許可されなかった路線「五日市鉄道」...
15/05/2026

【幻の鉄道-五日市鉄道】

 東京都内では、奥多摩の新緑が映える季節となりました。車窓からの新緑を堪能しようと、電車を利用される方も多いかもしれません。今回は、大正期に多摩地域で新しい鉄道として申請したものの、許可されなかった路線「五日市鉄道」をご紹介します。
 大正期は、地方鉄道の建設を推進するために明治43年(1910)8月3日に施行された軽便鉄道法によって、全国各地方で鉄道敷設ブームが起きていました。
 五日市鉄道も大正3年(1914)2月20日に八王子町-五日市町間の旅客と貨物輸送を目的に、軽便鉄道として申請されました。八王子町は南多摩郡、五日市町は西多摩郡の主要都市のひとつでしたが、五日市方面には、青梅鉄道が立川から青梅方面まで開通しているのみで、鉄道がありませんでした。こうした現状から、南多摩郡と西多摩郡の主要都市を最短で結ぶ路線として、五日市鉄道が計画されました。
 添付されている「五日市鉄道株式会社線路敷設許可願」(画像1)をみると、東京市に本店、八王子町に支店を置き、東京府下豊多摩郡内藤新宿の岡本文平をはじめ他6名の発起人によって申請されています。
 予測平面図(画像2)と地図に記された経路(画像3)をみると、八王子駅の西側を始点に、甲州街道の追分で陣馬街道(都道521号上野原八王子線)沿いに北西へ進み、南浅川を渡って横川、諏訪(南多摩郡元八王子村、現八王子市)を通過し、弐分方(南多摩郡恩方村、現八王子市)付近で北上して、北浅川を渡り、秋川街道(東京都道32号八王子五日市線)沿いの下川口(南多摩郡川口村、現八王子市)を北西へと進み、上川口(南多摩郡川口村、現八王子市)の山中を本郷・小中野(西多摩郡戸倉村、現あきる野市)まで抜けて東へ進み、五日市町で終点となっています。
 東京府は、経路地にあたる南多摩郡長と西多摩郡長に照会し、両郡長ともに公益上有益であるとの回答を得ました。とりわけ、西多摩郡長は、五日市方面に鉄道がなく物資輸送も不便で、一日でも早く起業することを地元住民が望んでいると大いに期待を寄せています。東京府は、両郡長の照会を踏まえ、沿線地域の交通不便や地元住民にも多大な利益をもたらすと判断し発起人の身元調査を経て政府へ申請しました。
 残念ながら、大隈重信内閣総理大臣の名で大正4年2月1日に不許可の通知が届きました。この鉄道が実現していれば、五日市町から八王子町までの近隣町村の交通不便は解消され、八王子駅で国鉄・中央線とつながることで、南多摩・西多摩郡の産業を発展させたかもしれません。また、大正・昭和初期の観光ブームのなかで、自然豊かな景観である秋川渓谷に近い観光路線としても注目されたことでしょう。

#鉄道  #五日市  #多摩  #大隈重信  #明治  #大正

【今回の史料】
画像1・2・3
軽便鉄道敷設不許可(八王子町~五日市町)【線路図(5万分の1地形図)】五日市鉄道(株)
https://www.archives.metro.tokyo.lg.jp/detail?cls=collection_04&pkey=1207239

【都立多摩丘陵自然公園って知っていますか】 4月に入り寒さもようやく落ち着き、春の陽気な季節になってまいりました。 昨年8月のSNSで、「東京都文化スライド 多摩丘陵をたずねて~昭和30年代」と題した、当館所蔵の「東京都文化スライド」をご紹...
11/05/2026

【都立多摩丘陵自然公園って知っていますか】

 4月に入り寒さもようやく落ち着き、春の陽気な季節になってまいりました。
 昨年8月のSNSで、「東京都文化スライド 多摩丘陵をたずねて~昭和30年代」と題した、当館所蔵の「東京都文化スライド」をご紹介しました。このスライドでは、多摩丘陵の都立平山城址公園付近のハイキングコース(現八王子市~日野市周辺)を中心に、国鉄豊田駅(現JR中央線・豊田駅)から高幡不動尊(真言宗智山派別格本山、高幡山明王院金剛寺)まで、子どもたちによる野外観察の様子が描かれました。
 この多摩丘陵一帯は、「都立多摩丘陵自然公園」と呼ばれる都立の“自然公園”でした。自然公園とは、戦災によって自然が荒廃したことで、美しい風景に対する再認識と、その保護・利用に対する機運が高まり、各地の自治体が国立公園の制度にならって独自に条例を定めた公園です。東京都では、市街地の拡大に伴い郊外の代表的な風景地を保護育成する目的で、昭和25年(1950)9月14日に「東京都立自然公園条例」が定められ、昭和28年までに滝山・江戸川水郷・高尾山・多摩丘陵・狭山・武蔵野・羽村草花丘陵・大島・秋川丘陵の9か所が指定されました。
 昭和25年11月23日に、多摩川南岸の丘陵に広がる、南多摩郡多摩村(現多摩市)、七生村(現日野市)、由木村(現八王子市)、由井村(現八王子市)にわたる1,959haの範囲が都立多摩丘陵自然公園に指定されました(画像1)。北側は多摩川沿いの平地に臨み、高尾、奥多摩、秩父の山間の良好な景観が望めます。都立桜ヶ丘公園を東端に、百草園、高幡不動尊、都立多摩動物公園、都立平山城址公園、都立長沼公園などを含んでいます。
 なお、都立多摩丘陵自然公園は、「東京都文化スライド」の「特集 自然に親しむ」(昭和38年11月)でも紹介されています(画像2・3)。このスライドは児童、生徒や都民に、自然に親しみ、自然を愛する気持ちを培い、あわせて自然環境の利用のしかた、諸施設や環境の清浄化などについて、考えさせ、理解をもたせようとして制作されたもので、昭和30年代の都立自然公園の様子を知ることができます。
 春の穏やかな季節を感じながら自然豊かな都立多摩丘陵自然公園でハイキングに興じてみてはいかがでしょうか。

#自然公園  #多摩丘陵  #昭和  #高尾  #奥多摩  #秩父  #桜ケ丘  #百草園  #高幡不動   #多摩動物公園  #平山城址公園  #長沼公園  #スライド

【今回の史料】
画像1
都立自然公園設定区域縦覧『東京都公報』第699号(昭和25年11月25日)(請求番号:K0113474)
https://www.archives.metro.tokyo.lg.jp/detail?cls=collection_09&pkey=K0113474
画像2「特集 自然に親しむ」(請求番号:スライド-459)
画像3「野猿峠を行くハイカー(六国台附近)」(請求番号:スライド-459)
https://www.archives.metro.tokyo.lg.jp/detail?cls=collection_15&pkey=000372734

参考
特集 自然に親しむ (東京都文化スライドシリーズ台本)(請求番号:政策D483)
https://www.archives.metro.tokyo.lg.jp/detail?cls=collection_07&pkey=000520782
東京都環境局HP「東京の自然公園」
https://www.kankyo1.metro.tokyo.lg.jp/naturepark/know/park/introduction/toritu/tama/index.html
東京都公文書館『都史資料集成Ⅱ』図録東京都政1 「文化スライド」でみる東京~昭和20年代、平成28年3月
東京都公文書館『都史資料集成Ⅱ』図録東京都政2 「文化スライド」でみる東京~昭和30年代、平成29年3月
https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu-archives/06kanko_butsu/0602t_syusei2

【続・作ってみました! 戦前の献立 学童弁当編(2)―豚肉の松風蒸しとキャベツの炒り煮ー】  戦前、東京市が広報誌『東京市公報』で市民に紹介したレシピを作る第2回目は、前回に続き学童弁当編です。ということで、作ってみました。 昭和8年(19...
07/05/2026

【続・作ってみました! 戦前の献立 学童弁当編(2)―豚肉の松風蒸しとキャベツの炒り煮ー】 
 戦前、東京市が広報誌『東京市公報』で市民に紹介したレシピを作る第2回目は、前回に続き学童弁当編です。
ということで、作ってみました。
 昭和8年(1933)6月20日『東京市公報』No.2275のレシピ「栄養料理献立(三)」より、学童弁当「豚肉の松風蒸しとキャベツの炒り煮」です。
 松風蒸し(焼き)とは、ケシの実をまぶした蒸し(焼き)物のことで、ゴマ仕立ての松風蒸しは、豆腐入りであっさりしています。塩と砂糖だけの調味ですが、肉も豆腐にもしっかり味が入り、とても美味しく、ごはんが進みます。キャベツの炒り煮は、醤油が味を引き締め、口直しになりました。子供だけでなく大人ウケもするお弁当です。
 さて、「栄養料理献立」は、昭和8年の6月から8月にかけて『公報』に連載され、多くの献立を紹介しました。これらの献立を考案したのは東京市衛生試験所栄養調査部で、献立は、調査部の調理研究室で「試製した試験済みのもの」でした。では、衛生試験所、そして栄養調査部とはどんな組織だったのでしょうか。
 衛生試験所は、東京市民の健康増進と衛生行政を図るため、明治35年(1902)3月に創設されました。昭和4年12月には六部制に組織が改編されました。この時、庶務、都市衛生試験、衛生化学試験、医学試験、予防医学教育の五部にならび、栄養に関する調査研究試験等まで業務範囲を拡げるべく、栄養調査部が初めて置かれたのです。部長には、コロンビア大学で学び、内務省栄養研究所でビタミン研究をしていた藤巻良知が迎えられました。
 栄養調査部は、飲食物の分析、栄養障害疾患の調査、栄養食・栄養剤の調整を業務とし、栄養知識・献立を広める活動もしました。また試験所では、しばしば栄養講習、料理講習を開催しました。昭和9年5月からは人数、期間とも拡大した「料理学校」を開催し、人気を博したということです。
(文末にレシピを引用しましたのでご参照ください)

#東京市  #レシピ  #学童  #弁当  #豚肉  #松風  #キャベツ  #健康  #衛生  #栄養

『東京市公報』No.2275 昭和8年6月20日 公報件名番号K0024151
URL: https://www.archives.metro.tokyo.lg.jp/detail?cls=collection_09&pkey=K0024151

〈参考〉
萩原弘道『日本栄養学史』1960年 国民栄養協会
『東京市公報』No.2395 昭和9年4月12日 公報件名番号K0026939
URL: https://www.archives.metro.tokyo.lg.jp/detail?cls=collection_09&pkey=K0026939
『東京市保健局事業概要 昭和8年』市刊E7
URL: https://www.archives.metro.tokyo.lg.jp/detail?cls=collection_07&pkey=000304656
『東京市の保健事業 保健局創設十周年記念』昭和10年
URL: https://www.archives.metro.tokyo.lg.jp/detail?cls=collection_07&pkey=000306690

豚肉の松風蒸し 〔〕は補記
豚(挽き肉)三〇瓦〔g以下同〕、豆腐五〇瓦、葱一〇瓦、片栗粉三瓦、塩、砂糖、すりごま少々
キャベツの炒り煮
キャベツ三〇瓦、ごま油三瓦、醤油、砂糖少々
胚芽米飯三五〇瓦
調理方法 豚肉の挽き肉をよく叩き水気をしぼった豆腐、葱、少量の片栗粉を加へてよく混ぜ塩、砂糖で調味し適当の大きさに丸めて蒸器に入れて蒸す。後取り出して、摺胡麻をかける。附合せのキャベツは少量の胡麻油でいため、醤油、砂糖にて味をつける。〔価格5銭5厘〕

【東京府美術館の開館】 今から100年前、大正15年(1926)5月1日上野公園内に東京府美術館が開館しました。現在の東京都美術館の前身にあたる施設です。今回は、当館が所蔵する東京府美術館の資料について紹介します。 数ある資料の中でも興味深...
30/04/2026

【東京府美術館の開館】

 今から100年前、大正15年(1926)5月1日上野公園内に東京府美術館が開館しました。現在の東京都美術館の前身にあたる施設です。今回は、当館が所蔵する東京府美術館の資料について紹介します。
 数ある資料の中でも興味深いのは、昭和10年代の職員名簿。
 館長は東京府知事岡田周造ですが、顧問(22名)のトップには開館のきっかけとなった建設費の寄付者で九州の石炭王佐藤慶太郎が置かれ、東京美術学校長正木直彦、東京帝国大学教授伊東忠太、日本画家の川合玉堂、横山大観、安田靫彦、洋画家の和田英作、藤島武二、彫刻家の朝倉文夫、北村西望らの名前がみられます。
 また、常議員(35名)・評議員(83名)には、鋳金工芸家津田信夫、陶芸家板谷波山といった、日本を代表する芸術家の名前がこれでもかと並んでいます。
 東京府美術館が、日本を代表する美術館だったことがわかります。

 画像は開館記念式典で配布された彩色絵葉書。岡田信一郎の設計イメージが、前川國男設計の現建物(昭和50年竣工)にもどこか受け継がれているように感じられます。

 東京都美術館では100周年記念事業を開催しています。
 これを機会に訪れてみてはいかがでしょうか。
 東京都美術館:100周年記念HP https://www.tobikan.jp/100th/

#東京府  #東京都美術館  #100周年  #伊東忠太  #横山大観  #安田靫彦  #和田英作  #藤島武二  #朝倉文夫  #津田信夫  #板谷波山  #前川國男

〔資料情報〕
東京府文書 公開件名:美術館職員名簿 請求番号306.F3.01(https://www.archives.metro.tokyo.lg.jp/detail?cls=collection_04&pkey=1597843)
内田祥三関係資料 資料名:東京府美術館概要 請求番号U526.7-と-4297-12-(https://www.archives.metro.tokyo.lg.jp/detail?cls=collection_11&pkey=000354716)

【大正時代の適性診断―東京市電気局能率調査室の活動―】 仕事には向き、不向きがあると言います。就職活動に際して職業適性診断を受けて志望する業界を考えた方も多いのではないでしょうか。大正10年(1921)、東京の電気事業を担っていた東京市電気...
23/04/2026

【大正時代の適性診断―東京市電気局能率調査室の活動―】
 仕事には向き、不向きがあると言います。就職活動に際して職業適性診断を受けて志望する業界を考えた方も多いのではないでしょうか。大正10年(1921)、東京の電気事業を担っていた東京市電気局は業務の「能率」を高めるべく、「能率調査室」を設置し、電気局の従業員や見習生、採用試験に応募した人々に「心理学的検査」を実施しました。例えば運輸事業の従業員は敏捷、的確、良質の3点が重要だとされ、これらの資質を調べるために多種多様な実験機械とテストが従業員に施されています(画像1)。
 テストの一例として「全体連合検査」をご紹介しましょう(画像2)。テスト用紙には20個の単語が掲載されており、その下の余白部分に、それぞれの単語を包括するカテゴリと示す言葉を書き込むというものです。「銅貨」なら「貨幣」、「日本」なら「国」と言ったところでしょうか。「袖」や「ガラス窓」などはなんと回答すればよいのでしょう…?残念ながら模範解答は残されていません。1問5点の100点満点で評価され、試験時間は3分でした。平均点は40.36点と非常に低く、確かに3分で的確に全問回答することは難しそうです。好成績を修めたものは「一般人よりは高能力者」と見なされました。こうしたテストは職員の知能だけでなく、「良心」や「責任感」の測定にまで応用されていたようです。
 調査室の活動を主導していた高峰博は、無駄なく効率的に仕事するには、機械や設備だけでなく、人間の個性にも着目しなければならないと考えていました。数値に置き換えにくい個性を判断する上でテストは重宝されたのでしょう。ただし、能率調査室は実験報告の中で「人間心理やその性能に関する如き機微にして微妙なる問題」をテストだけで判断するのは危険だと断りを入れた上で「読者の明察に委ねておく」としています。

【画像の出典】
画像: 高峰博『心性考査法と其の標準』(1925年、東京都公文書館所蔵、請求番号:市刊L110)
#行政  #公務員 #能率 #採用  #採用試験 #適性検査 #試験  #就職活動

【占領期の軟式野球チーム】 今年もプロ野球が開幕してもうすぐ1ヶ月。だからというわけではありませんが、今回は書庫で見つけた野球に関わる資料を、きたるべき軟式野球史マニアの皆様にご紹介します。 昭和22年(1947)に東京都軟式野球連盟の支部...
22/04/2026

【占領期の軟式野球チーム】

 今年もプロ野球が開幕してもうすぐ1ヶ月。だからというわけではありませんが、今回は書庫で見つけた野球に関わる資料を、きたるべき軟式野球史マニアの皆様にご紹介します。
 昭和22年(1947)に東京都軟式野球連盟の支部のひとつとして「連合軍施設勤労者野球倶楽部支部」、略して「連勤支部」が結成されました。これは名称のとおり占領期の連合軍施設で働いていた人たちの軟式野球チームの集まりですが、どうやら東京都渉外部の肝煎りで組織されていたようです。渉外部というのは昭和20年(1945)12月に設置された東京都の部署で、当時占領軍が必要とする土地建物の接収や労働力の提供などを担っていました。この渉外部が昭和26年(1951)に発行した『連合軍施設勤労者野球倶楽部支部とわ』によると、連勤支部は渉外部による支援のもとで「渉外部と連合軍施設勤労者中の野球愛好者」が運営していたそうです。
 詳しい活動実態はあまり分からないのですが、昭和24年(1949)の時点で連勤支部には50チームが所属していたとのこと。それらのチームを一部・二部・三部に分け、年中行事としてトーナメント戦を行なっていたようです。優勝チームは連勤支部を代表して東京都軟式野球選手権大会に出場できるのだとか。冊子をめくってみると日比谷公園にある洋食レストラン「松本楼」のチームも連勤支部に所属していたことが分かります。接収された松本楼は米軍将校の宿舎として使用されていました。当時の社長・小坂光雄は連勤支部の副支部長でした。
 残念ながらほかに資料を見つけることができず謎の多い連勤支部ではありますが、連合軍の占領によって生み出された特有の存在であったことは明らかです。のちに連合軍施設の接収解除が進むなかで、そのまま解散してしまったかもしれません。占領政策は日本野球の歴史における重要なテーマのひとつであるだけに、連勤支部の歩みをたどることができないのは惜しいところですが、占領期の野球普及活動の一端に触れる貴重な資料です。軟式野球史マニアの皆様のご来館をお待ちしております。ぜひ当館にてご覧くださいませ。

#野球  #接収  #昭和  #連合  #占領  #軟式  #日比谷公園  #松本楼  #米軍  #解散  #レストラン  #洋食
・紹介した資料
東京都渉外部『連合軍施設勤労者野球倶楽部』昭和26年(1951) 請求番号:総務F66

・資料詳細(東京都公文書館情報検索システム)
https://www.archives.metro.tokyo.lg.jp/detail?cls=collection_07&pkey=000489267

・参考文献
小坂祐弘『松本楼の歩み:日比谷公園と共に七十年』日比谷松本楼、1973年
全日本軟式野球連盟(編)『軟式野球史』ベースボール・マガジン社、1976年
谷川健司『ベースボールと日本占領』京都大学学術出版会、2021年

住所

東京都国分寺市泉町2-2/21
Kokubunji, Tokyo
185-0024

営業時間

月曜日 09:00 - 17:00
火曜日 09:00 - 17:00
水曜日 09:00 - 17:00
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