日本の歴史ガイド

日本の歴史ガイド 日本の歴史ガイドでは日本の城・史跡・銅像をご紹介。鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代(戦国時代)江戸時代、幕末(幕末軍艦・新撰組・海援隊)と幅広くご紹介致します。

【執筆者大募集 !】歴史ブログライター募集(日本の歴史ガイド 担当)「日本の歴史ガイド」では歴史にまつわる記事を書いていただける方を広く募集いたします。「戦国時代」から「幕末」までの間で、様々なテーマを題材にして書いて頂けたらと思います。執...
14/08/2021

【執筆者大募集 !】歴史ブログライター募集(日本の歴史ガイド 担当)

「日本の歴史ガイド」では歴史にまつわる記事を書いていただける方を広く募集いたします。
「戦国時代」から「幕末」までの間で、様々なテーマを題材にして書いて頂けたらと思います。
執筆が未経験の方でも全く構いません。

戦国時代が好きな方、幕末が好きな方、ぜひぜひご応募お待ちしております!!
お気軽にご応募ください。

【募集方法】
お問い合わせフォームから「ブログライター応募」と明記の上、お送りください。

【応募条件】
・男女、年齢不問
・書いた記事の権利は「日本の歴史ガイド」となります。
・書いた記事には「この記事を書いた人」として「お名前」を明記して頂けます。
・記事のフッターにご自身のプロフィールへ飛ばすリンクを貼って頂いても構いません。
・記事のボリュームは特に制限はございません。
・サムネイル画像や記事に関連する写真がない場合は「日本の歴史ガイド」から貸し出します。
・ライター(執筆)の方には本サイトのアカウントを発行させて頂きます。

■ お申し込みはこちら
https://www.jp-history.info/blog/11986.html

【斎藤義龍の攻撃により落城した明智光秀の故郷 明智城】明智城は岐阜県可児市瀬田長山にあった典型的な山城である。康永元年(1342年)、美濃源氏の流れをくむ「土岐頼兼」がこの地に城を築き、明智と名乗ったとされている。その後代々明智氏による統治...
05/04/2020

【斎藤義龍の攻撃により落城した明智光秀の故郷 明智城】

明智城は岐阜県可児市瀬田長山にあった典型的な山城である。康永元年(1342年)、美濃源氏の流れをくむ「土岐頼兼」がこの地に城を築き、明智と名乗ったとされている。

その後代々明智氏による統治がおこなわれてきたが、弘治2年(1556年)9月、稲葉山城主「斎藤義龍」の攻撃を受け「明智光安(光秀の叔父)」は兵870名と共に籠城する。しかし、義龍の軍勢は約3700の大軍でもあり徐々に要所を破られ籠城2日目にして落城した。

※続きはこちらから ⇒ https://www.jp-history.info/castle/5396.html

【明智城・場所・アクセス】
〒509-0223 岐阜県可児市羽生ケ丘5-68

【圧倒的な石垣に囲まれた典型的な山城 赤松広秀が大改修した天空の城 竹田城】※このような時期だからこそお城の写真と説明を見て妄想を膨らまし、行ける時期に備えましょう♪但馬の国に盤踞する「竹田城」は豊臣時代に大々的に改修された総石垣の山城であ...
10/03/2020

【圧倒的な石垣に囲まれた典型的な山城 赤松広秀が大改修した天空の城 竹田城】

※このような時期だからこそお城の写真と説明を見て妄想を膨らまし、行ける時期に備えましょう♪

但馬の国に盤踞する「竹田城」は豊臣時代に大々的に改修された総石垣の山城である。もともとは山陰地方に勢力を持っていた山名家の家臣「太田垣氏」によって築城されたのが始まりである。

その後戦国時代に入り、中国地方攻略の担当官に任命された織田家武将の「羽柴秀吉」によって攻略され落城する。以降、秀吉の弟「秀長」が治める城となる。その後、竹田城は但馬の国の拠点として「赤松広秀」が城主に任命され、城の改修を進めた。

写真提供:吉田利栄

竹田城は典型的な山城で、城のまわりは圧倒される程の石垣で囲まれたており、総石垣の城に作り上げられた。戦国時代も後期に入ると、天下は「徳川家康」のもとなりつつあり、その家康の台頭を快く思わない「石田三成」率いる西軍との間で「関ヶ原の戦い」が勃発する。

山陰地方にも戦の波は押し寄せ、石田三成率いる西軍に与した鳥取城の宮部氏を討伐するため、広秀は城攻めに加わった。その鳥取城攻めでは城を消失しないで落とす意向を家康から伝えられていたが、同じく城攻めに加わった「亀井茲矩」とともにその責務を果たせなかった。

家康の心証を悪くした「茲矩」と「広秀」だったが、結局は「広秀」が責任を取らされて切腹することになる。

ここに城主を失った竹田城は廃城とされた。現在は天守跡の台座や多くの石垣が綺麗に保存されて残っている。また、竹田城は国指定史跡に認定されており、日本100名城56番にも選定されている。近年では多くの観光客で賑わう城となっており、雲海に囲まれた竹田城は天空にある城のように見えることから、天空の城や日本のマチュピチュとも呼ばれている。

【竹田城・場所・アクセス】
〒669-5254 兵庫県朝来市和田山町

~ 写真や続きはこちらからご覧下さい ~

■ 圧倒的な石垣に囲まれた典型的な山城 赤松広秀が大改修した天空の城 竹田城
http://www.jp-history.info/castle/57.html

■ 日本の歴史ガイド
http://www.jp-history.info/

■ 幕末維新写真館
http://www.jp-edo.info/

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18/01/2020

『新選組隊士育成ゲームアプリ開発仲間募集』

私が所有する新選組全隊士456名のデータを活用した「新選組隊士育成ゲーム」のアプリ開発仲間募集ページです。私自身はアプリ開発の初歩知識しかないので、きちんとリリースまで構築できる仲間を募集しております。

※あくまで無償で開発を行う仲間を募集しております。
※みなで協力してリリースし、成果(売上)が出たら均等に分配したいと思います。

■ご応募や詳細はこちらからお気軽に♪
https://www.jp-history.info/blog/11723.html

ご応募お待ちしております。

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12/06/2019

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【榎本武揚や旧幕府軍最後の抵抗 日本初の西洋城郭五稜郭】北海道函館市にある五稜郭は日本初の西洋式陵堡である。江戸時代の幕末期に北方からの外国の脅威に対抗するため「武田斐三郎」の設計のもと築城された。函館五稜郭の特徴としては5つの星型の城郭で...
20/10/2018

【榎本武揚や旧幕府軍最後の抵抗 日本初の西洋城郭五稜郭】

北海道函館市にある五稜郭は日本初の西洋式陵堡である。江戸時代の幕末期に北方からの外国の脅威に対抗するため「武田斐三郎」の設計のもと築城された。函館五稜郭の特徴としては5つの星型の城郭で、それぞれ5つの先端には砲座が置かれ各方面への砲撃が可能であった。

幕末の動乱の中、幕府は函館奉行所に代官を赴任させていたが「徳川慶喜」が大政奉還を表明し政権を放棄すると新たに新政府軍より代官が配属された。その頃、各地の旧幕府軍は慶喜の大政奉還に不満を持ち、薩長が主力の新政府軍と会津・桑名・新撰組などが主力の旧幕府軍によって「鳥羽伏見の戦い」が勃発し、旧幕府軍は敗退し大阪城へ退く。

大阪城で再起を図ろうとしていた矢先に肝心の「徳川慶喜」が江戸へ家臣団を置き去りにして逃亡してしまう。これにより西国での権威は失墜し、ついに旧幕府勢力の一掃を行うため各地への鎮撫使と掃討軍が編成された。江戸へ向けて進軍を開始した東山道軍・東海道軍は各地で旧幕府方の城を降伏・恭順させて吸収しながら江戸へ到着。

ここに有名な西郷隆盛・勝海舟による江戸城無血に向けての会談が行われた。その結果江戸城総攻撃は中止となり江戸の町は戦火から逃れることが出来た。

一方、これに不服とする旧幕府軍の一部はそれぞれ江戸を脱出し房総方面や東北方面へと向かっていった。江戸に残っていた旧幕府軍の一部は上野に篭り「彰義隊」と称して新政府軍との軋轢を生んでいた。そしてついに「大村益次郎」の士気のもと上野戦争が勃発しわずか一日の戦闘で「彰義隊」は壊滅してしまう。

旧幕府軍海軍副総裁の「榎本武揚」も不満をもつ人物で、これら彰義隊の生き残りや不満をもつ幕臣達を船に乗せて一路仙台を目指した。各地で抵抗を見せていた旧幕府軍の残党も宇都宮の戦い、長岡城の戦い、そして会津若松での戦いに敗れ陸路仙台へと向かっていた。

ここに旧幕府海軍と陸軍の生きのこりが仙台へ集結し、榎本はかねてから構想のあった蝦夷地開拓の夢を実現すべく各軍艦に旧幕府兵を収容し一路蝦夷地(北海道函館)へと向かった。すでに蝦夷地を支配下に置いていた新政府軍と、いち早く新政府軍に恭順していた北海道唯一の藩「松前藩」は榎本艦隊を迎え撃つが、くしくも敗れて青森へと撤退していった。

こうして、榎本武揚は明治2年「蝦夷共和国」を建国。一時は諸外国もこれを独立国として認めていた。榎本率いる旧幕府軍はきたる新政府軍との戦いに備え、各砲台の整備や「四稜郭」の建設や海岸には弁天台場、松前守備隊、江差守備隊などを配しこれに備えた。

明治2年春、ついに津軽海峡を新政府軍が渡航し蝦夷地攻略に動き出した。初戦では善戦した榎本軍だったが軍艦を不運な形で失うなど制海権を奪われ、陸地でも圧倒的軍事力を誇る新政府軍に押しに押され、ついに五稜郭内にて降伏を決意する。いくつもの激戦の中を生き残り、五稜郭にまで戦いの場を求めてきていた「新撰組」生き残りの「土方歳三」は、降伏しても厳しい処罰からは逃れられないことを悟り、自ら無謀とも言える突撃を行い見事に戦士している。

なお、函館奉行所の建物は当時としては高い建造物であり、それが函館湾からの艦砲射撃の標的となったようである。榎本武揚による旧幕臣やその家族を養うための蝦夷地開拓の夢はここに潰えたのであった。なお函館五稜郭は「日本100名城2番」に指定されている。

また、日本には函館五稜郭の他にもう一ヶ所五稜郭があり、「龍岡五稜郭」と呼ばれている。この五稜郭は信州佐久に存在する。

【写真】
・五稜郭
・五稜郭(空中撮影)
・五稜郭正門
・函館奉行所

【函館五稜郭・所在地・アクセス】
〒040-0001 北海道函館市五稜郭町

■ 榎本武揚や旧幕府軍最後の抵抗 日本初の西洋城郭五稜郭
https://www.jp-history.info/castle/30.html

『外国人に優しい日本を!日本の史跡サイトを英語版対応にしたいプロジェクト、50%達成です』現在、自身の「日本の史跡情報サイト」を全て英語対応にしようというプロジェクト(クラウドファンディング)に挑戦しております!※すでにご協力頂いている皆様...
13/10/2018

『外国人に優しい日本を!日本の史跡サイトを英語版対応にしたいプロジェクト、50%達成です』

現在、自身の「日本の史跡情報サイト」を全て英語対応にしようというプロジェクト(クラウドファンディング)に挑戦しております!※すでにご協力頂いている皆様には大変感謝しております。

幼少期から日本の歴史(主に戦国時代と幕末)に接してきた私は、約2年半をかけて現在の「日本の歴史ガイド」を構築しました。現在も残るお城や陣屋、そして城跡など1000ヶ所以上の情報が盛り込まれたホームページです。

■日本の歴史ガイド
https://www.jp-history.info/
(直接行けなかった史跡はSNSの友人・知人に頼んで写真を送って頂きました)

昨今日本へ来日する外国人の方が増え続ける中、この史跡サイトを英語対応にすれば必ず多くの人々の役に立つと信じています。とは言いましても、1000ヶ所以上にも及ぶ史跡情報を英語翻訳することは並大抵のことではなく、外部の機関に委託する運びとなりました。

そのためのご支援をお願いするプロジェクトですが、何よりもこのホームページが次世代にも残せるような遺産になればと、強い気持ちを持っております。そして英語対応化して世界の人々のお役にたてる史跡サイトになれたらと切に願っております。

■外国人に優しい日本を!日本の史跡サイトを英語版対応にしたい!
https://readyfor.jp/projects/jp-history

【常に人々の心に残る日本の史跡】
日本の歴史や史跡を知る上で、必ずしもその背景や特別な知識が必要だとは思っておりません。人によっては歴史的建造物に心ひかれたり、山城なら健康も兼ねて登山を楽しんだり、単に山頂からの景色を楽しんだり、天守閣では当時の殿さまの気持ちを想像してみたりと、楽しみ方は人それぞれです。

史跡の情報は普段の私たちの生活に必須というわけではないかもしれません。しかし、何気なく行った旅先や日帰りのドライブでも、史跡や歴史的スポットはすぐ近くにあるものです。徐々に失われつつある日本の歴史や史跡、古い建造物ですが、日々忙しく喧騒とした都会の暮らしにふと疲れた時、そんな人々の心を癒してくれる場所。それが史跡であり歴史的建造物でもあると思います。

人々から脚光を浴びるお城や史跡、人々の蔭に隠れるように存在する小さなお城や史跡、そのような全ての情報を英語対応化して世界の人々に配信して行きたいです。地球の反対側から「日本の歴史ガイド」を見て来日してくれるかもしれません。在日外国人の方が地方に足を運んでくれれば地域の活性化にも繋がります。

■外国人に優しい日本を!日本の史跡サイトを英語版対応にしたい!
https://readyfor.jp/projects/jp-history

SNSなど多くのネットワークで繋がっている現代世界では、今や誰もが知ることの出来る情報です。「日本の歴史ガイド」を通じて、少しでも多くの外国の方へ届けたい、知ってもらいたいと強く思っておりますのでご協力の程宜しくお願い致します。

※情報の拡散やシェアだけでもして頂けますと大変ありがたく思います。

【圧倒的な石垣に囲まれた典型的な山城 赤松広秀が大改修した天空の城 竹田城】今の時期がお薦め!!但馬の国に盤踞する「竹田城」は豊臣時代に大々的に改修された総石垣の山城である。もともとは山陰地方に勢力を持っていた山名家の家臣「太田垣氏」によっ...
07/06/2018

【圧倒的な石垣に囲まれた典型的な山城 赤松広秀が大改修した天空の城 竹田城】

今の時期がお薦め!!

但馬の国に盤踞する「竹田城」は豊臣時代に大々的に改修された総石垣の山城である。もともとは山陰地方に勢力を持っていた山名家の家臣「太田垣氏」によって築城されたのが始まりである。

その後戦国時代に入り、中国地方攻略の担当官に任命された織田家武将の「羽柴秀吉」によって攻略され落城する。以降、秀吉の弟「秀長」が治める城となる。その後、竹田城は但馬の国の拠点として「赤松広秀」が城主に任命され、城の改修を進めた。

写真提供:吉田利栄

竹田城は典型的な山城で、城のまわりは圧倒される程の石垣で囲まれたており、総石垣の城に作り上げられた。戦国時代も後期に入ると、天下は「徳川家康」のもとなりつつあり、その家康の台頭を快く思わない「石田三成」率いる西軍との間で「関ヶ原の戦い」が勃発する。

山陰地方にも戦の波は押し寄せ、石田三成率いる西軍に与した鳥取城の宮部氏を討伐するため、広秀は城攻めに加わった。その鳥取城攻めでは城を消失しないで落とす意向を家康から伝えられていたが、同じく城攻めに加わった「亀井茲矩」とともにその責務を果たせなかった。

家康の心証を悪くした「茲矩」と「広秀」だったが、結局は「広秀」が責任を取らされて切腹することになる。

ここに城主を失った竹田城は廃城とされた。現在は天守跡の台座や多くの石垣が綺麗に保存されて残っている。また、竹田城は国指定史跡に認定されており、日本100名城56番にも選定されている。近年では多くの観光客で賑わう城となっており、雲海に囲まれた竹田城は天空にある城のように見えることから、天空の城や日本のマチュピチュとも呼ばれている。

【竹田城・場所・アクセス】
〒669-5254 兵庫県朝来市和田山町

~ 写真や続きはこちらからご覧下さい ~

■ 圧倒的な石垣に囲まれた典型的な山城 赤松広秀が大改修した天空の城 竹田城
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【加藤清正苦心の城 武者返しなどの石垣が立派な熊本城】熊本城は現在の熊本県熊本市中央区にある城である。別名、銀杏城(ぎんなんじょう)とも言われております。1469年頃に肥後守護の菊池氏の一族が城を築いたのが始まりである。その後、肥後(現:熊...
19/10/2017

【加藤清正苦心の城 武者返しなどの石垣が立派な熊本城】

熊本城は現在の熊本県熊本市中央区にある城である。別名、銀杏城(ぎんなんじょう)とも言われております。1469年頃に肥後守護の菊池氏の一族が城を築いたのが始まりである。

その後、肥後(現:熊本県)守護の菊池氏が居城としたが豊前の「大友義鎮(宗麟)」と対立し、以後は大友氏に協力的だった「城親冬」が居城とした。

1587年(天正15年)、豊臣秀吉の九州征伐に際し、薩摩の島津氏に属していた親冬の孫・城久基は城を明け渡し筑後国に移った。秀吉は肥後の隈本城を織田政権時代には同僚であった「佐々成政」を領主して使命した。

新たに隈本城に入った佐々成政は、秀吉の指示に反して検地を強行し、肥後国人一揆を引き起こす。この時隈本城は国人衆による猛攻を受けたが、城代の神保氏張が死守して落城は免れている。

1588年(天正16年)、成政はこの一揆の責任を取らされて切腹を命じられ、代わりに加藤清正が肥後北半国19万5000石の領主となり隈本城に入った。

加藤清正は、1591年(天正19年)から隈本城のあった茶臼山丘陵一帯に新たな城郭を築きはじめる。1600年(慶長5年)頃には天守が完成、関ヶ原の戦いの行賞で清正は肥後一国52万石の領主となる。

※関ヶ原の戦い以前、肥後半国は小西行長の領地だったが、西軍につき敗北したため肥後一国は加藤清正へ与えられた。

1606年(慶長11年)には城は完成し、翌年「隈本」を「熊本」と改めた。これが現在の熊本城である。1610年(慶長15年)から、通路によって南北に分断されていた本丸に通路をまたぐ形で本丸御殿の建築が行われた。

これにより天守に上がるには、本丸御殿下の地下通路を通らなければならないようになった。

1632年(寛永9年)、清正の子・加藤忠広の改易により豊前小倉城主だった細川忠利が肥後54万石の領主となり熊本城に入った。このとき忠利は天守に上り、清正を祀る廟所がある本妙寺の方角に向かって遙拝したと伝えられる。

加藤家の治世末期には、藩財政の疲弊やお家騒動により、城の修理もままならない状況であった。細川忠利は入封後、直ちに熊本城の修理を幕府に申し出ている。この修理は建築物の修繕に留まらず、本丸の増築にもおよび、現在見られる縄張りはこの修理の際、完成したものである。

※写真は現在の熊本城「日本100名城92番」

~ 写真や続きはこちらからご覧下さい ~

■ 加藤清正苦心の城 武者返しなどの石垣が立派な熊本城
http://www.jp-history.info/castle/181.html

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【幕末には久坂玄瑞・高杉晋作などの志士を生み討幕へ進んだ長州藩の萩城(指月城)】萩城は別名「指月城」とも呼ばれ、長州藩の政庁があった城である。明治時代初期の廃城令により破却されてしまったが古写真はいくつも残っている。幕末時には「吉田松陰」の...
11/10/2017

【幕末には久坂玄瑞・高杉晋作などの志士を生み討幕へ進んだ長州藩の萩城(指月城)】

萩城は別名「指月城」とも呼ばれ、長州藩の政庁があった城である。明治時代初期の廃城令により破却されてしまったが古写真はいくつも残っている。幕末時には「吉田松陰」の教えを受けた「松下村塾」塾生達が討幕運動の先駆けとなり多くの命を落とした。

・久坂玄瑞
・高杉晋作
・吉田稔麿
・入江九一
・松浦松洞
・中谷正亮
・有吉熊次郎
・杉山松介
・飯田正伯

もともと毛利家は本拠地を「吉田郡山城」から「広島城」へと移し、中国地方一帯を治める大大名であった。しかし、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの敗戦により徳川家康から周防・長門の2ヶ国へと除封されてしまう。

さらに居城も日本海の僻地「萩」へ置くよう幕府より厳命され、藩主以下屈辱の極みであった。この屈辱を江戸時代を通し約250年忘れず、ついに幕末になってその積年の恨みが爆発した。

特に若い藩士達が率先して「尊王攘夷」を先駆け、途中からその思考が「討幕」へと変わっていった。一方、萩城は松本川と橋本川に囲まれた三角州に建てられ指月山の山頂にある本丸と、山麓にある本丸・二の丸・三の丸から構成されていた。

萩城は実質一度も外敵からの攻撃を受けたことはなく、幕末長州藩最大の戦い「四面戦争」でも全て攻勢に出たため萩城が攻められることはなかった。例外として、藩内が幕府への恭順派(佐幕派)と改革派で争った闘いでは、高杉晋作率いる奇兵隊・力士隊他に萩城は攻められ開城したことがある。

高杉晋作による「功山寺決起」はあまりにも有名であり、この時、実質的に長州藩ははっきりと討幕への道を進んだと言っても過言ではない。

※藩論を一気に討幕へと導いた高杉晋作

功山寺決起で藩論を討幕へと導いた晋作だったが、幕府軍との戦い「四面戦争」で長州藩が勝利すると今で言う肺結核のため、短い生涯を終えた。まさに激動の幕末において、この一連の活躍のみのために生まれてきたような生き方だった。(享年29)

現在の萩城跡は指月山公園として整備されており、二の丸の一部や三の丸の総門などが復元されている。また、松下村塾や明倫館跡、武家屋敷と共に観光の名所にもなっている。さらに萩城(指月城)は、日本100名城75番に選定されている。

【萩城・場所・アクセス】
〒758-0057 山口県萩市大字堀内2区1−1

~ 写真や続きはこちらからご覧下さい ~

■ 幕末には久坂玄瑞・高杉晋作などの志士を生み討幕へ進んだ長州藩の萩城(指月城)
http://www.jp-edo.info/castle/136.html

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瀬田1238−3
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