熊谷市立江南文化財センター

熊谷市立江南文化財センター 埼玉県熊谷市立江南文化財センター×熊谷デジタルミュージアム

【はにわ焼成】5月15日(金)に、熊谷市立江南保育所年長児15名が作ったはにわの乾燥が終了したので、本日、焼成のため電気窯に入れました。設定温度800度で、約10時間焼成します。壊れずに焼けると良いのですが・・・・
01/06/2026

【はにわ焼成】

5月15日(金)に、熊谷市立江南保育所年長児15名が作ったはにわの乾燥が終了したので、本日、焼成のため電気窯に入れました。
設定温度800度で、約10時間焼成します。壊れずに焼けると良いのですが・・・・

【07 熊谷山車屋台祭研究会・彩鼓連 第18回地域伝統芸能今昔物語】令和7年11月23日(日・祝)に、熊谷市立江南総合文化会館ピピア ホールで行われた、第18回地域伝統芸能今昔物語で披露された、熊谷山車屋台祭研究会・彩鼓連による 「熊谷祇園...
01/06/2026

【07 熊谷山車屋台祭研究会・彩鼓連 第18回地域伝統芸能今昔物語】

令和7年11月23日(日・祝)に、熊谷市立江南総合文化会館ピピア ホールで行われた、第18回地域伝統芸能今昔物語で披露された、熊谷山車屋台祭研究会・彩鼓連による 「熊谷祇園囃子」を紹介します。

熊谷山車屋台祭研究会は、熊谷うちわ祭を中心に各地の祭りや囃子の調査研究を行っており、実演するお囃子会として彩鼓連が結成され、日々研鑽を積んでいます。
彩鼓連の祇園囃子は、熊谷うちわ祭りのお囃子の形態を保ち、新たに「長く残したい日本の名曲」を、多くの子ども達が関わるお囃子に取り入れ、改めて日本の素晴しさを知ってもらい、伝えて行きたいという想いでお囃子の継承を進めています。幼き頃、青春時代、嬉しい時も悲しい時も心に響く歌があった。想い出がよみがえり、心あたたまる懐かしい童謡・唱歌・歌謡曲と数え唄は、琴線に触れるメロディーを奏で、囃子をリードする篠笛の音色は郷愁を誘い、多くの人達を魅了します。

埼玉県芸術文化祭2025地域文化事業熊谷市誕生20周年記念事業 第18回地域伝統芸能今昔物語令和7年11月23日(日・祝) 熊谷市立江南総合文化会館ピピア ホール制作:埼玉県芸術文化祭2025地域文化.....

【大神宮3】大神宮の再建見積書が、竹井家に残されていたので紹介します。秋山国次郎から竹井耕一郎あての見積書です。「見積書大里郡熊谷町字鎌倉町天照皇大神宮再建築・金参拾弐円五拾銭 タダシ土石垣並に土別          傚に人夫共壹式右見積書...
28/05/2026

【大神宮3】

大神宮の再建見積書が、竹井家に残されていたので紹介します。
秋山国次郎から竹井耕一郎あての見積書です。
「見積書
大里郡熊谷町字鎌倉町天照皇大神宮再建築
・金参拾弐円五拾銭 タダシ土石垣並に土別
          傚に人夫共壹式
右見積書差上■ニ付請負ヒ■■■■
明治三十弐年四月二十七日 大里郡熊谷町五百十一番地
            秋山國次郎
竹井耕一郎殿」
32円50銭の見積額となっており、土石垣と土代は別となっています。

秋山国次郎は、代々土木請負業を営む家に生まれ、明治16(1883)年開通の上野ー熊谷間の鉄道敷設工事や駅開設を請負い、私財を投げうって工事に奉仕しました。日本鉄道株式会社は、その功績の代償として、国次郎に熊谷駅立売販売営業を許可しました。
国次郎は、駅ホームに間口四間の建物を設置し、雑貨や食品の販売を行い、食品の中には、竹皮包で「お寿司」を売り出しており、これを駅弁と捉えれば、国内で最初の事例です。国有鉄道となり、明治30(1897)年より逓信省鉄道局長の許可を得て、駅ホーム立売り、待合室売店の営業を行い、上等・普通弁当、鰻丼、ハム、すき焼き、茶、肉団子、菓子、果物、サンドウイッチ、冷菓、和洋酒、清涼飲料、牛乳、雑誌、玩具、手ぬぐい、ハンカチ、葉書、切手、煙草、新聞、ゆで卵などを販売しました。また国次郎は、熊谷には特筆すべき名産品が無いことを遺憾とし、水戸屋三代目水野丑松と図り、土産品として五家宝の駅売りを始めました。
大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災の際には、熊谷駅と協力して、罹災者のために不眠不休で弁当を作り、東京方面へ供給しました。
大正13(1924)年10月には、ホトトギス吟行会一行が待ち合わせの場所として、「驛前の茶店、秋山亭」を利用したとの記述があることから、駅前で茶店も営業していたことがわかります。
昭和2(1927)年に隠居し、子の国次に事業を継承させています。

【参考】
『ホトトギス』「秋の一日」 第28巻第4号  1925 ホトトギス社
『会員の家業とその沿革』1958 社団法人国鉄構内営業中央会
「掛紙停車183 高崎線熊谷駅(中)秋山亭」『交通新聞』 二代目荻生屋和大 2022年9月1日

【歓喜盃】妻沼聖天山境内に置かれている、石製ベンチを紹介します。花崗岩製で、前面に「歓喜盃醸造元出口本店」、裏面には「恊和會 主催」と刻まれています。奉納年は刻まれていませんが、並んで設置されている同様のベンチには「大正十一年吉日」と刻まれ...
27/05/2026

【歓喜盃】

妻沼聖天山境内に置かれている、石製ベンチを紹介します。
花崗岩製で、前面に「歓喜盃醸造元出口本店」、裏面には「恊和會 主催」と刻まれています。奉納年は刻まれていませんが、並んで設置されている同様のベンチには「大正十一年吉日」と刻まれています。
歓喜盃は、かつて出口酒店(屋号:伊勢屋)で醸造・販売されていた日本酒です。
明治35(1902)年の『埼玉県営業便覧』には、妻沼上町に「酒類製造商 伊勢屋号 出口政之助」「酒類製造醤油商 伊勢屋号 出口富之助」の記載があり、詳細は不明ですが、明治から昭和期にかけて醸造されていた日本酒と思われます。

【きかは便郵167】熊谷地域の昔の絵葉書紹介167回目。今回は、「熊谷富士見町通り」です。左側の写真は富士見町通りが写されており、芦江の都々逸「おかいこぐるみか 熊谷町は 桑の青葉の 中にある」と記されています。交差点角の三階建ての建物は「...
25/05/2026

【きかは便郵167】

熊谷地域の昔の絵葉書紹介167回目。今回は、「熊谷富士見町通り」です。
左側の写真は富士見町通りが写されており、芦江の都々逸「おかいこぐるみか 熊谷町は 桑の青葉の 中にある」と記されています。交差点角の三階建ての建物は「■■支店」の看板文字が見え、街路灯と電柱には「中村写真館」の看板が付けられています。歩道にはカンカン帽を被った三人の男性が写っています。
右上には、協賛会長斎藤紫石の写真と俳句「石撫して 復興の春の 風に立つ」と記されています。この句は、紫石が熊谷町長を務めていた大正14年(1925)に発生した、熊谷大火の復興に際し詠んだ句で、復興した富士見町の写真と共に掲載したものと思われます。
この葉書の製作年代は、
1.宛名面上部の「きかは便郵」は、昭和8年(1933)2月15日以前の書き方
2.宛名面通信文記載範囲が1/2は、大正7年(1918)3月1日以降
3.熊谷大火は大正14年(1925)
以上のことから、この絵葉書は、大正14年(1925)~昭和8年(1933)の間に製作されたものと推測されます。

【「踊る埴輪」のAI画像5】「踊る埴輪」のAI作成画像の紹介5回目。今回は「梅雨」です。日暮れ時の森の中で、傘をさしてバスを待つ「踊る埴輪」です。某国民的アニメをオマージュして作成。
24/05/2026

【「踊る埴輪」のAI画像5】

「踊る埴輪」のAI作成画像の紹介5回目。今回は「梅雨」です。
日暮れ時の森の中で、傘をさしてバスを待つ「踊る埴輪」です。
某国民的アニメをオマージュして作成。

【星溪園積翠閣の展示について】星溪園(熊谷市鎌倉町32)積翠閣入り口に設置している展示ケース内の展示替えを行いました。竹井澹如・耕一郎関連資料(写真・年表・棟札・火鉢・掛け軸)や、星溪園内旧建物の写真、大野百樹画の星溪園鳥観図『星溪園図』な...
21/05/2026

【星溪園積翠閣の展示について】

星溪園(熊谷市鎌倉町32)積翠閣入り口に設置している展示ケース内の展示替えを行いました。
竹井澹如・耕一郎関連資料(写真・年表・棟札・火鉢・掛け軸)や、星溪園内旧建物の写真、大野百樹画の星溪園鳥観図『星溪園図』などを展示しました。
星溪園にお越しの際は、ぜひご覧ください。

【 間々田万作おどり保存会 第18回地域伝統芸能今昔物語】令和7年11月23日(日・祝)に、熊谷市立江南総合文化会館ピピア ホールで行われた、第18回地域伝統芸能今昔物語で披露された、間々田万作おどり保存会による市指定無形民俗文化財 「間々...
20/05/2026

【 間々田万作おどり保存会 第18回地域伝統芸能今昔物語】

令和7年11月23日(日・祝)に、熊谷市立江南総合文化会館ピピア ホールで行われた、第18回地域伝統芸能今昔物語で披露された、間々田万作おどり保存会による市指定無形民俗文化財 「間々田万作おどり」を紹介します。

間々田万作おどりは、妻沼地域の間々田地区にある伊奈利神社の祭礼、初午の神事の後に奉納されます。江戸時代以降、利根川の水運にも恵まれ、養蚕、米や麦などの豊かな生産地であった間々田地区では、五穀豊穣の祈りと、収穫の感謝を込めて、「万作おどり」が継承されています。この「万作おどり」は、江戸時代中期に他の地域の踊りからの影響を受けるなどして確立され、戦後途絶えたこともありましたが、間々田万作おどり保存会の結成を契機に復活し、今日に至っています。
「下妻音頭」の陽気な踊りで幕開けし、「数え唄」で田畑仕事を思わせる動きが見られ、その間に拍子木で活気を与える「口上」が加わります。そして、収穫の感謝を「粉や踊り」で表現します。
昨年度で、旧男沼小学校は150年の歴史に幕を閉じましたが、旧男沼小学校を卒業した中学生が、応援に駆けつけ、舞台を盛り上げています。

埼玉県芸術文化祭2025地域文化事業熊谷市誕生20周年記念事業 第18回地域伝統芸能今昔物語令和7年11月23日(日・祝) 熊谷市...

【大神宮2】明治32(1899)年11月2日に竹井澹如が再建した大神宮の立面図が、竹井家に残されていたので紹介します。1枚目の写真は、正面立面図です。「長押」「三尺七寸五ト」「口七尺五寸」と記されています。長押(なげし)は、建物の壁面を囲む...
18/05/2026

【大神宮2】

明治32(1899)年11月2日に竹井澹如が再建した大神宮の立面図が、竹井家に残されていたので紹介します。
1枚目の写真は、正面立面図です。「長押」「三尺七寸五ト」「口七尺五寸」と記されています。長押(なげし)は、建物の壁面を囲む化粧部材です。屋根は茅葺ではなく、銅板葺きに変更されているようで、棟と直角に並べられた丸木の鰹木(かつおぎ)が描かれています。
2枚目の写真は、側面立面図です。「長押」「四尺五寸」「土臺」と記されています。屋根には、長方形の風切り穴が開けられた外削ぎの千木(ちぎ)が付けられています。
3枚目の写真は、鳥居や常夜灯、外構のスケッチ図です。鳥居は丸い自然石で根固めされ、「根ヨリ四尺五寸」に「指口」、「金鋲」は「御柱共六ヶ所」と記されています。「撫石」と記された石が描かれており、参拝者が願いを込めて撫でることで、ケガレを祓い、病気平癒や願望成就をもたらすために設置された石と思われます。左側の先端が斜めに切られた板材は、長方形の風切り穴があることから千木のデザインと思われます。
この大神宮は、昭和5年に竹井耕一郎が祠境を大増築しており、堤外にあったことから、昭和20年の熊谷空襲からも戦火を免れましたが、戦後の復興事業により、取り壊されています。
再建された大神宮の様子がわかる貴重な資料です。

【江南保育所のはにわづくり】5月15日(金)に、熊谷市立江南保育所年長児15名が、先日の文化財センター見学に引き続いて、埴輪づくり体験を行いました。職員の説明の後、親子で協力して、個性的な「踊る埴輪」を熱心に作っていました。なかなかの秀作ぞ...
17/05/2026

【江南保育所のはにわづくり】

5月15日(金)に、熊谷市立江南保育所年長児15名が、先日の文化財センター見学に引き続いて、埴輪づくり体験を行いました。
職員の説明の後、親子で協力して、個性的な「踊る埴輪」を熱心に作っていました。なかなかの秀作ぞろいです。
体験後には、お礼にとかわいらしい埴輪が描かれたポスターを頂きました。
数日乾燥させた後、電気窯で焼いて完成です。楽しみにおまちください。

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千代329
Kumagaya-shi, Saitama
360-0107

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