熊谷市立江南文化財センター

熊谷市立江南文化財センター 埼玉県熊谷市立江南文化財センター×熊谷デジタルミュージアム

【林有章『松筠集』】昭和13年(1938)林 有章(https://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/ijin/hayasiariakira.htm)80歳を記念して刊行された句集『松筠集』(しょういんしゅう)...
31/08/2026

【林有章『松筠集』】

昭和13年(1938)林 有章(https://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/ijin/hayasiariakira.htm)80歳を記念して刊行された句集『松筠集』(しょういんしゅう)に寄せられた祝い句333句のうち、熊谷在住の俳人の句を紹介します。

「輝やきて 壽像めくらむ 春の風」紫石(斎藤茂八)
「四方山の 綿帽子消ゆ さくら花」 野人(風間浅五郎)

「八十路とは 見へぬ姿や 花の翁」 吟笑(和久井銀次郎)

「白梅や 正宗の刀 此の翁」 迂保(中川勝蔵)

「曙の 花にたのしき 翁かな」 一路(柿原清二)

「梅勁し 風蘭垂れて 壽」 一宿(田嶋一宿)

「花の春 一門栄えて めてたけれ」 慶翠(棚澤慶治)

「霜に耐へ 雪を凌きし 梅の翁」 天外(酒井惣七)

「うららかや 松は千古の 緑濃く」 刀泉(三澤源吉)

「芽出たさの 友に集まる 春日かな」 晧々虜(四分一葉々)

「勝ちいくさ 八十路の春を 一とや壽美」 梅堂(林 頼三郎)

「八十の 老も忘れて 花に酒」 幽嶂(林 有章)

当時の熊谷の名だたる俳人が、有章を慕い、祝いの句を寄せています。

【細井平左衛門】明治時代に市内板井に住した宮大工の細井平左衛門(生没年不詳)を紹介します。市内川原明戸の宮大工飯田和泉(3代岩次郎)に師事し腕を磨きました。明治25(1892)年に野原八幡神社本殿を再建、明治34(1901)年には野原文殊寺...
30/08/2026

【細井平左衛門】

明治時代に市内板井に住した宮大工の細井平左衛門(生没年不詳)を紹介します。
市内川原明戸の宮大工飯田和泉(3代岩次郎)に師事し腕を磨きました。
明治25(1892)年に野原八幡神社本殿を再建、明治34(1901)年には野原文殊寺の鐘楼門を再建しています。
天保9(1838)年に再建された文殊寺本堂の向拝彫刻を、飯田和泉(3代岩次郎)が手掛けています。この本堂は昭和11(1936)年に焼失し現存しませんが、子弟でそれぞれの建物を競作していたことになります。
また、細井家には、細部の彫刻まで描かれた神社本殿の側面絵図が残されています。社名は不明で、実在するのかも不明です。
懸魚に龍、木鼻に獅子。胴羽目彫刻は、龍の脇で女性が琴を弾いています。この題材は、「玉巵弾琴(ぎょくしだんきん)」と思われます。玉巵は西王母の末娘で、太真王夫人(たいしんおうふじん)とも呼ばれた仙女です。彼女が一弦の琴を奏でるたびに、周囲に多くの鳥(百禽)が群がり飛来し、白龍に乗って四海(世界中)を自由に巡ったと伝えられています。脇障子には松に鷹、腰羽目彫刻に唐獅子牡丹、鯉の滝登りなどが配置されています。
玉巵弾琴の彫刻は、近隣では、市内上新田諏訪神社の向拝、市内妻沼聖天堂の貴惣門、美里町北向神社・深谷市伊奈利大神社・寄居町宗像神社・太田市阿久津稲荷神社の胴羽目ほかに見る事ができます。

【熊谷駅南口階段アート】本日8月28日は、828(はにわ)ということで埴輪の日です(8月20日説あり)。ということで、最近熊谷駅南口の階段に「踊る埴輪」の階段アートが掲示されましたので紹介します。左側は「うちわ祭り」、右側は「歓喜院聖天堂」...
27/08/2026

【熊谷駅南口階段アート】

本日8月28日は、828(はにわ)ということで埴輪の日です(8月20日説あり)。
ということで、最近熊谷駅南口の階段に「踊る埴輪」の階段アートが掲示されましたので紹介します。
左側は「うちわ祭り」、右側は「歓喜院聖天堂」です。
今年度中は掲示されるとのことです。ぜひ一度ご覧ください。

【廻国供養塔2】熊谷市内に所在する近世の廻国供養塔の紹介2回目。今回は、市内玉作地蔵堂の廻国供養塔2基です。両者とも如意輪観音座像を刻んでいます。如意輪観音は、六道の苦しみから救う観音菩薩の変化身であり、六観音の一尊で、輪王座(りんのうざ)...
26/08/2026

【廻国供養塔2】

熊谷市内に所在する近世の廻国供養塔の紹介2回目。今回は、市内玉作地蔵堂の廻国供養塔2基です。
両者とも如意輪観音座像を刻んでいます。如意輪観音は、六道の苦しみから救う観音菩薩の変化身であり、六観音の一尊で、輪王座(りんのうざ)という、右膝を立てて足の裏を合わせる独特な座り方をしています。
1基目は、正面に「武州大里郡上吉見町領玉作村矢嶋□右衛門 六十六部 奉納大乗妙典 日本回国 奉年 正徳二子辰年五月吉日」と刻まれています。正徳2(1712)年に、矢嶋□右衛門が造立したものです。
2基目は、正面に「宝暦三年二月十九日 月窓方輪禅定尼 六十六部供養 武州大里郡玉作村」と刻まれています。宝暦3(1753)年に、月窓方輪という尼僧が造立したものです。
この2基は、現在近接して建てられており、同じ村から41年後に「日本廻国」を行った人が出て、同形式の供養塔を建てたということになります。
今でも近隣の人が花を手向けており、信仰の対象として受け継がれています。

【きかは便郵169】熊谷地域の昔の絵葉書紹介169回目。今回は熊谷寺の直実公御墓所と直実公木像です。右側の写真には「(埼玉県熊谷市)熊谷寺境内 熊谷直実公御墓所」と記され、熊谷寺本堂脇の直実公墓所の入り口が写っています。木製の看板には「熊谷...
24/08/2026

【きかは便郵169】

熊谷地域の昔の絵葉書紹介169回目。今回は熊谷寺の直実公御墓所と直実公木像です。
右側の写真には「(埼玉県熊谷市)熊谷寺境内 熊谷直実公御墓所」と記され、熊谷寺本堂脇の直実公墓所の入り口が写っています。木製の看板には「熊谷直実公(後の蓮生法師)御墓 亡後七百三十年余 宝物殿(日の丸扇 其他武具等) 右方十間余 浄土宗熊谷寺」と記されています。墓所は石塀で囲まれ、片岩製の石碑には「熊谷蓮生法師舊跡」と刻まれています。
左側の写真には、連生法師の座像と「熊谷次郎直実公御木像(蓮生法師) 御誕生 永治元年二月十五日 熊谷館にて生る 御出家 建久四年五十三歳 御往生 承元元年九月四日 熊谷の草庵にて滅す 歳六十有七」と記され、最後には、「限りなき涙と見せて杜鵑(ほととぎす)おのが五月の雨に泣くらん 蓮生」と記されています。
この歌は、蓮生が詠んだとされる歌で「尽きることのない涙のように見せて、ほととぎすは(鳴きながら涙を流すかのように)自ら五月の雨の中で泣いているのだろうか」との意で、ほととぎすが血を吐くように(涙を流すように)鳴くという伝承と五月雨を掛け合わせ、無常観や自身の流す涙をほととぎすの姿に投影して詠んだものとされています。
この絵葉書の発行年は、通信欄に仕切り線がありませんが、切手を貼る左上に「内國には壹銭五厘切手 外國には四銭切手」と印字されており、郵便料金から明治32(1899)年~昭和6(1931)年の間に発行されたものと判断されます。

【08 上川原神道香取流棒術保存会 第18回地域伝統芸能今昔物語 】令和7年11月23日(日・祝)に、熊谷市立江南総合文化会館ピピア ホールで行われた、第18回地域伝統芸能今昔物語で披露された、上川原神道香取流棒術保存会 による市指定無形民...
23/08/2026

【08 上川原神道香取流棒術保存会 第18回地域伝統芸能今昔物語 】

令和7年11月23日(日・祝)に、熊谷市立江南総合文化会館ピピア ホールで行われた、第18回地域伝統芸能今昔物語で披露された、上川原神道香取流棒術保存会 による市指定無形民俗文化財 「上川原神道香取流棒術」を紹介します。

上川原神道香取流棒術は、江戸時代初期に、武士の中津川又右衛門が上川原村(現在の熊谷市小島)に伝承し、現在まで受け継がれてきた剣術方式で、当時確立された型には表十二手と裏十二手の計二十四手があります。しかし、一般に公開されているのは、表の十二手のみであり、裏の十二手が公開されるのは珍しく、秘伝とされています。また、戦前までは剣術の形態を維持していたが、戦後の新たな政策での用具の規制により現在の棒術の形態となり、伝承されています。
上川原神道香取流棒術保存会では、毎年、春と夏の祭典に合わせ、上川原自治会集会所において棒術を披露しています。演技は、三尺の樫の木刀を持ち、紺の刺子と袴を身に着けた勇壮な姿で、攻める側の「遣い」と請ける側の「請け」との二人が組み合います。今回は、それぞれの組み手についての演技解説を交えながら披露します。

埼玉県芸術文化祭2025地域文化事業熊谷市誕生20周年記念事業 第18回地域伝統芸能今昔物語令和7年11月23日(日・祝) 熊谷市...

【塩:八幡神社の彫刻5】市内塩の八幡神社彫刻の紹介5回目。今回は、本殿懸魚・中備・扉です。懸魚は波と菊。中備は龍。朱塗りの扉には井桁の社紋が付けられており、両脇の脇羽目には、梅と山鵲(さんじゃく)が配されています。山鵲は、中国南部や東南アジ...
20/08/2026

【塩:八幡神社の彫刻5】

市内塩の八幡神社彫刻の紹介5回目。今回は、本殿懸魚・中備・扉です。
懸魚は波と菊。
中備は龍。
朱塗りの扉には井桁の社紋が付けられており、両脇の脇羽目には、梅と山鵲(さんじゃく)が配されています。
山鵲は、中国南部や東南アジアなどに住むスズメ目カラス科の鳥で、白い斑紋のある黒い頭、赤い嘴、濃青色の背、腹部は白で長い尾をもちます。中国では、おめでたい鳥とされ、日本には古くから飼い鳥として輸入されており、花鳥画の題材として描かれています。

【塩:八幡神社の彫刻4】市内塩の八幡神社彫刻の紹介4回目。今回は、本殿奥胴羽目彫刻です。松の木の下で座って頬杖を突く人物に、雲に乗った仙人が巻物を授けるような仕草で微笑みかけています。この題材は、中国の故事に基づいていると思われますが、残念...
19/08/2026

【塩:八幡神社の彫刻4】

市内塩の八幡神社彫刻の紹介4回目。今回は、本殿奥胴羽目彫刻です。
松の木の下で座って頬杖を突く人物に、雲に乗った仙人が巻物を授けるような仕草で微笑みかけています。
この題材は、中国の故事に基づいていると思われますが、残念ながら不明です。

【塩:八幡神社の彫刻3】市内塩の八幡神社彫刻の紹介3回目。今回は、本殿左胴羽目彫刻です。松の木の下で、烏帽子を付け刀を差した老人が、赤子を抱いて笑っています。これは、応神天皇を抱く武内宿禰(たけのうちのすくね)です。『日本書紀』などに記され...
17/08/2026

【塩:八幡神社の彫刻3】

市内塩の八幡神社彫刻の紹介3回目。今回は、本殿左胴羽目彫刻です。
松の木の下で、烏帽子を付け刀を差した老人が、赤子を抱いて笑っています。
これは、応神天皇を抱く武内宿禰(たけのうちのすくね)です。『日本書紀』などに記された「三韓征伐」からの帰還後、無事に皇子(応神天皇)を出産した神功皇后を、武内宿禰が補佐し守護したという伝説に基づいており、この場面は、忠誠心や母性、そして国の守護を象徴する縁起の良いモチーフとして親しまれてきました。
武内宿禰は、記紀に伝わる古代日本の人物で、「宿禰」は尊称です。『日本書紀』では景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代、『古事記』では成務から仁徳の4代の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣で、紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など中央有力豪族の祖ともされています。

【塩:八幡神社の彫刻2】市内塩の八幡神社彫刻の紹介2回目。今回は、本殿右胴羽目彫刻です。花の咲く木の下で、3人の人物が配置されています。右の人物が机に向かい、筆に硯の墨をつけて、紙に書こうとしています。左の二人は書をひろげて覗きこんでいます...
16/08/2026

【塩:八幡神社の彫刻2】

市内塩の八幡神社彫刻の紹介2回目。今回は、本殿右胴羽目彫刻です。
花の咲く木の下で、3人の人物が配置されています。右の人物が机に向かい、筆に硯の墨をつけて、紙に書こうとしています。左の二人は書をひろげて覗きこんでいます。
画題は「琴棋書画」です。古来、中国で高士(世俗を離れて生活している高潔な人物)の風流事として尊ばれたたしなみのことで、「琴」は音楽、「棋」は囲碁、「書」は読書や書、「画」は絵を描き鑑賞することを指します。
この彫刻はその中の「書画」を表しているものと思われます。

住所

千代329
Kumagaya-shi, Saitama
360-0107

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